木炭案内人

「木炭講義 日本史の時間」


木炭や、薪は私たちの生活に欠かせないものでした。
鎌倉時代後期から南北朝動乱期にかけて近畿、東海、北陸地方に、
惣村という自治的な村が形成されました。
「今堀地下掟」という今堀郷の村人の掟が「日吉神社文書」に残っています。
その一文に「薪・すミハ、惣ノヲタクヘシ」とあります。
薪や炭は惣村のものを使うことという文章ですが、
いまでいう地産地消ですよね。延徳元年(1489)のことです。

時代は下って「天保の薪水給与令」で
「外国のものニても、難風に逢い漂流ニて食物薪水を乞ひ候までに
渡り来たり候を、その事情相分からざるニ、一図に打ち払い候てハ、
万国に対せられ候ご処置とも思し召されず候。」
「外国船であっても、暴風にあって漂流し、食糧や薪、水を求めるために、
渡来したのを、その事情もわからずひたすらに打ち払ってしまっては、
すべての海外諸国にたいする適切な処置とも思われない。」
だから相応にあたえて帰国するように言い聞かせなさい。上陸はさせてはならない」
と続きます。薪が水と並び称されるほど重要なものであったことがわかります。
これは天保13年(1842)のことです。
文化3年(1806)に出された文化の薪水給与令があるにもかかわらず、
上陸がなされたことで、文政8年(1825)に「異国船打ち払い令」が
出されたのちの沙汰でした。

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