木炭雑学「上総木炭」

「千葉県民だより 10月号」に出ていたお話です。
上総の国奥畑村(現在の君津市)ではこれといった特産物がなく、
人々の暮らしは豊かではない山村でした。
江戸時代の宝暦年間に、相模の国(現在の神奈川県)の常盤半兵衛が、
土窯を築いて、炭を焼く新しい技術を伝え、出来上がった木炭は、
小糸川を川船で下り、五大力船で江戸に運ばれました。
この炭は、火持ちがよく、火力も強かったので、「上総木炭」といわれ、
江戸では、料理や暖房の燃料として重宝され、村の収入になりました。
農閑期には、山に入り、伐採や山の手入れをしました。そのため、
山は活性化し、生態系も壊さず、うまく人間と共存していました。
地域に貢献し、人々に愛されてきた半兵衛をたたえ、顕彰碑が造られ、
本人が焼いた木炭が三経寺というお寺に保存されているそうです。

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