木炭案内人

炭や  鹽原多助一代記

炭や 塩原多助をご存じですか?数々の艱難辛苦を乗り越え、丹精して炭やとして成功し、
今で言う公共事業にも尽力された、立志殿中の人です。たどんを発明して販売!
戦前まで教科書に載っていたそうです。名場面「アオとの別れ」はいまだに落語会でも演目に。
ここではその序文だけ掲載しますが、さすが落語家。いろいろな炭が巧みに混ぜられています。

序詞

炭売(すみうり)のおのが妻こそ黒からめと。吟ぜし秀句ならなくに。黒き小袖に鉢巻や。其の助六がせりふに云う。

遠くは八王寺の炭焼。売炭(ばいたん)の歯欠爺(はっかけじゝい)。近くは山谷(さんや)の梅干婆(うめぼしばゝ)に至る迄。

いぬる天保の頃までは。茶呑咄(ちゃのみばな)しに残したる。炭売多助(たすけ)が一代記を。

拙作(せっさく)ながら枝炭(えだずみ)の。枝葉を添(そえ)て脱稿(やきあげ)しも、原来(もとより)落語なるを以(もっ)て。

小説稗史(はいし)に比較(くらべ)なば。所謂(いわゆる)雪と炭俵。弁舌(くち)は飾れど実の薄かるも。

御馴染甲斐(おなじみがい)に打寄(うちよす)る冠詞(まくらことば)の前席(ぜんせき)から。

ギッシリ詰る大入(おおいり)は、誠に僥倖当(まぐれあた)り炭(ずみ)。俵の縁語に評さえ宜(よき)を。

例の若林先生が。火鉢にあらぬ得意(おはこ)の速記に。演舌(しゃべ)るが儘を書取られしが。写るに速きは消炭(けしずみ)も。

三舎(しゃ)を避(さけ)る出来栄(できばえ)に、忽(たちま)ち一部の册子(そうし)となりぬ。

抑(そも)この話説(はなし)の初集二集は土竈(どがま)のパットせし事もなく。

起炭(おこりずみ)の賑(にぎ)やかなる場とてもあらねど後編は。駱駝炭(らくだずみ)の立消(たちぎえ)なく。

鹽原(しおばら)多助が忠孝の道を炭荷と倶(とも)に重んじ。節義は恰(あたか)も固炭(かたずみ)の固く取(とっ)て動かぬのみか。

獣炭(じゅうたん)を作りて酒を煖(あたゝ)めし晋(しん)の羊(ようじゅう)が例(ためし)に做(なら)い。

自己(おのれ)を節して費用を省き。天下の民(たみ)寒き者多し独り温煖(あたたか)ならんやと曰(のたま)いし。

宋(そう)の太祖が大度(たいど)を慕い。普(あまね)く慈善を施せしも。

始め蛍の資本(ひだね)より。炭も焼(やく)べき大竈(おおかまど)と成りし始末の満尾(まんび)迄。

御覧を冀(ねが)うと言(いう)よしの。端書(はしがき)せよとの需(もとめ)はあれど。

筆持(もつ)すべも白炭(しらすみ)や。焼(やか)ぬ昔の雪の枝炭屋の妻程黒からで鈍き作意の炭手前(すみでまえ)。

曲り形(なり)なる飾り炭。唯(たゞ)管炭(くだずみ)のくだ/\しけれど。

輪炭(わずみ)胴炭(どうずみ)点炭(てんずみ)と重ねて御求めの有之様(これあるよう)。

出版人に差代(さしかわ)り。代り栄せぬ序詞(はしがき)を。斯(かく)は物しつ。

三遊亭圓朝 鈴木行三校訂 鹽原多助一代記
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注釈

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