炭や 鹽原多助一代記2
炭や 塩原多助をご存じですか?数々の艱難辛苦を乗り越え、丹精して炭やとして成功し、
今で言う公共事業にも尽力された、立志伝中の人です。たどんを発明して販売!
戦前まで教科書に載っていたそうですが、この10月の歌舞伎で久しぶりに演じられました。
長い長いお話ですが、かいつまんでお話すれば、多助の実父はお侍。
落ちぶれているところへ昔の家来で、妹の駆け落ちした亭主が行商にくる。
その義弟に「金を借りて、江戸でもう一度士官を」と実父は話をする。
帰りがけに義弟はたくさんのお金で馬を買うお百姓に会い、金を借りようとするが、
初対面の人に貸すわけがない。揉み合って百姓を殺して奪おうとするところを、
実父がそれと知らず鉄砲で義弟を打ち、百姓を助ける。
実父は悔やみ、お百姓と家に遺体を連れ帰り、訳を話すと、金を貸す代わりに、
子どもを養子にくれともちかけられる。話せば二人は同姓同名、先祖も同家らしいとわかり、
豪農であることもわかり、泣くなく多助は養子に出され、実父は江戸で士官し、出世する。
ひょんなことから篤志家の養父は多助の実の叔母を助けて、家に住まわせ、
その実の娘、多助の従姉妹も火事で焼け出されたのを連れ帰る。
養父が亡くなる時には「その従姉妹を嫁にし、塩原の家の後継ぎに」と遺言される。
多助は頑張るが、叔母と従姉妹が不貞をしたり、二人に苛められたりして多助は苦労の末、
二人に殺されそうになって、江戸へ逃げる。その時、飼い馬のアオと峠で別れ、
馬が涙を流して別れゆくのが、名場面。
江戸で多助は恩人の炭やで奉公し、実父の家に配達に行くが、
父はここで逢って養親への忠孝を忘れてはいけないと、逢わずに帰らせる。
ここも涙を誘いますね。
多助は商売を覚え、節約し、勤勉に働き、
年季10年があけて独立する。拾い集めた粉炭をためておき、
それを天秤棒で担いで売り歩き、量り売りして評判をとり、成功する。
普段は質素にし、橋や道普請にはお金を使い、公共事業を行う。
「本所に過ぎたるものが二つあり、津軽屋敷に炭屋塩原」と歌にまで詠われるほどの
成功を収めた。
粉炭を販売する時に味噌濾しを持ってきてもらい、それを入れ物に一杯いくらで
販売したそうですが、炭の粉と海草を混ぜてたどんを作り販売したとも言われています。
三遊亭圓朝 鈴木行三校訂 鹽原多助一代記
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